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On Ryukyus

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アメリカの戦略

アメリカは第2次大戦以降アジアを始めとする世界各地に米軍基地を配置し、世界秩序の安定を目指した。1995年に通称 "ナイ・レポート" と呼ばれる「東アジア太平洋地域に対する米国の安全保障戦略」の中で、アメリカはアジアに10万人の兵力を配置する構想を明らかにした。沖縄の4万人をはじめ、マレーシア・シンガポール・ブルネイ・韓国・オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニアに米軍が駐屯している。

米軍が他国に駐屯するに当たって、国際法上外国軍隊は駐屯国の法に従わなければならないが、その国と米国間の間で行政協定(SOFA, Status Of Forces Agreement)を締結することによって双方の法の範囲内で一定の便宜が保証される。通常 SOFA は駐屯国に不利な内容となっているので、アメリカと駐屯国の基地周辺住民との間で摩擦が生じることになる。

フィリピンにおける米軍

フィリピンとアメリカは戦後1947年に MBA(Military Bases Agreement) を結び米軍基地をフィリピンに置くことに合意し、ついで1951年 MDT(Mutual Defence Treaty) を締結して相互に第三国からの攻撃があったときに援護することを確認したが、1991年にフィリピン議会の否決により MBA の更新は拒否された。米軍はフィリピンに駐屯していた軍隊を沖縄に移転させたが、フィリピンに軍隊を派遣する権利を保持するため1998年 VFA(Visiting Forces Agreement) を成立させた。

VFA では米軍がフィリピン内に基地を作る権利はないものの、核を塔載した兵器を持ち込まれても検査する権利がない(フィリピンは憲法で非核を規定している)、米軍がフィリピンで犯罪を犯した場合軍人の身柄を拘束する権利がない、軍事行動の対象となる地域の範囲が規定されていないなどの問題が指摘されている。

韓国の地位協定

韓国は戦後米軍による軍政が行われ、1948年まで一切の主権を放棄して米軍の管理下に入る協定を結んでいたが、1949年に米軍が一時撤収することによって軍政はいったん終了した。しかし1950年に朝鮮戦争が勃発し、6月25日に米軍に裁決権を受け渡す大田協定を、7月12日に韓国が米軍に経済支援を約束するマイヤー協定を結んだ。朝鮮戦争終結後の1953年には韓米相互防衛条約を締結し、協議の末1966年に在韓米軍地位協定(SOFA)を結んだが、あまりの差別的な条約のため改定を要求する運動が起こり、1991年に第1次改定が行なわれたが、第2次の改定作業は難航し現在も協議中である。

在韓米軍地位協定によると米軍の兵士が犯罪を犯した場合、拘束検査が不可能、一度無罪判決を受けたり有罪判決でも控訴せず刑期を終えた場合検察の上訴権がない、犯罪行為をしたのが公務中であるかどうかの判断はアメリカ側、専属裁判権は原則放棄など他国がアメリカと結んだ協定と比べて不利な内容であり、基地の使用する土地についてはアメリカの所有となるなど不当な協定となっている。

戦後米軍が韓国に駐留するのは韓国の人たちの強い反共意識と北への恐怖によって黙認されてきたが、80年代ごろから静かに反米の声が上がり始め、差別的な行政協定にへの不満を背景に在韓米軍に対する異議が唱えられた。韓国が米軍を受け入れるのは北に対する警戒と東北アジア地域の安定が第一に挙げられているが、南北朝鮮統一後も米軍は韓国に駐留を続ける方針を明らかにするなど、米軍は「韓国のため」に駐屯しているのではない、と基地の撤廃を叫ぶ運動も起こっている。

ドイツと NATO 軍

戦後西独は連合国による軍隊駐留を受け、1955年に占領終結とともに NATO に加盟したが、「外国軍の駐留に関する条約」によって軍の駐留は続いたので、59年一般協定を補うドイツ補足協定を作った。しかしこれらの条約は裁判権の扱いなど西独に不利な協定であったので、ドイツ統一後の1991年から改定交渉が開始され93年に改定された協定が正式調印された。

NATO 軍のドイツにおける権利は、アメリカが駐屯国において次々結んだ条約と同じように基地の使用権を NATO 側が所有し、兵士が犯した犯罪を裁く権利は原則 NATO 側にあるなど屈辱的な内容から出発したが、1991年に始まる改定交渉を通じて犯罪を犯した兵士を起訴前に拘束する権利や基地の使用に対してドイツの法令を適用する原則などを盛り込んだ条文を獲得した。

沖縄・基地問題

Brief History of Okinawa

沖縄は14世紀から16世紀にかけては東南アジアを中心として広く交易を手がけて栄えた王朝であったが、17世紀初めに薩摩藩の侵攻を受けてからの歴史は苦難の連続であった。薩摩の島津氏は沖縄を支配し琉球王朝を通じて交易の巨利を得ようとしたが、明王朝に朝貢を拒否されて目的が達成できず、沖縄に多額の税を課して住民から搾取した。1868年明治政府が誕生し、1872年に廃藩置県へ向けて琉球国は琉球藩として扱われるようになったが、沖縄は政府の軍隊駐留に頑として応じず、結局1879年武力によって制圧され、琉球処分が完了して琉球王国は滅びて沖縄県となった。

明治政府による統治が始まると沖縄は政府の圧政に苦しめられた。もともと人口が密集していたところに人頭税をかけ、砂糖価格の暴落も相次ぎ、沖縄では食べるものに事欠いて「ソテツ地獄」と呼ばれるような悲惨な状況が見られた。そして日本が戦争の渦に巻き込まれていく中で沖縄も皇国体制に組み込まれ、第2次大戦では沖縄で本土唯一の地上戦となり、民間人まで巻きぞえにした「鉄の暴風」と形容されるほどすさまじい戦闘が繰り広げられた。

日本は戦後アメリカの占領下に置かれ、屋久島より南の日本領は分離され米軍の支配するところとなった。アメリカは軍隊を置かない日本が真空地帯となるのを恐れ1951年に(旧)日米安全保障条約を結び、奄美諸島より北は段階的に返還したが、沖縄本島が日本領となるのは1960年の安保改定、日米地位協定締結を経て安保体制の強化を終えた1972年を待たねばならなかった。

沖縄の日本復帰後政府は安保体制の堅持のため72年公用地法、77年地権明確化法を次々と成立させ、82年には特措法を発動し、反戦地主の土地を強制使用する道を突き進んだが、95年の米兵暴行事件を機にそれまで抑え込まれてきた基地反対の声が爆発し、基地撤廃を求める沖縄県民と米軍基地の継続的使用――安保体制の恒久化を図る政府との間で激しい対立が起こっている。

本土の 0.6% の土地に 75% の基地という矛盾

沖縄は戦後日本本土と違い単独で米軍が占領した。米軍基地は旧日本軍基地を中心に建設されたが、朝鮮戦争などを通じて米軍が民間人の土地を "銃剣とブルドーザー" で強制収容していった。そして1972年の沖縄復帰を迎える際、日本は日米安全保障条約に基づき83施設約278平方kmの土地を米軍施設として提供したが、2000年1月現在235平方kmの土地が未返還となっており、粘り強い交渉にもかかわらずほとんどの施設が無条件の返還の対象とはなっていない。

面積にして沖縄は本土の 0.6%、人口にして 1% しかないのに米軍基地の割合が 75% にも上ることを問題にして、沖縄の大田前知事は安保体制が必要なら負担は全国民でするべきだ、と述べている。地理的重要性を別にすればこのような狭い土地に大量の米軍が存在するのは沖縄にとって大変な負担であり、返還後日米安全保障協議委員会(SCC, Security Consultative Commitee)や90年の日米合同委員会、95年に設置された「沖縄に関する特別行動委員会(SACO, Special Action Commitee on Okinawa)」と日米両政府は協議を重ねているが、根本的な解決にはほど遠い。

日本に基地を置く必要

対外債務に苦しむアメリカは90年代に入って国外の米軍基地を相次いで縮小・廃止する方向を固めたが、日本はそれらの軍備縮小の恩恵にあずかることはできず、多くの軍備は在日米軍基地に機能を移転した。これは、日本がアメリカに対して支出している「思いやり予算」によるところが大きい。アメリカ政府は「国内に基地を持つより沖縄に軍隊を配備したほうが安上がりだ」とまで公言している。

米軍は日本において基地使用の料金(地代、光熱費など)を免除されているばかりでなく、港湾・高速道路の利用料および輸入品に対する関税、さらには基地内で働く日本人の賃金までもが日本の国庫から支出されている。また、米軍が犯罪を犯した場合、賠償の際日本に全く責任がない場合ですら25%の負担義務が、多少でも日本に責任があればそれだけで50%の負担義務があることが協定に定められている。

環境汚染

米軍が駐屯国の基地を退去する際、協定によってアメリカは原状回復の義務を負わないことになっているが、各国で廃棄物による環境汚染や軍事活動による環境破壊が問題となっている。韓国では PCB による被害が深刻で、漢江毒物放流事件を機に協定の改定運動が高まった。ドイツでは1991年の改定で NATO 軍に基地の原状回復の義務を負わせる条項を盛り込んだ。沖縄でも劣化ウラン弾の保管・使用による放射能汚染、丘に向けての砲弾発射による赤土が流出、重金属・PCB のずさんな管理など多くの問題があることが明らかになっており、基地返還が実現した後も汚染により再利用が難しい状況となることが予想されている。

安保・地位協定・ガイドライン

地位協定第17条5項Cには

「日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国による公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行なうものとする」

という条文があり、先の1995年に起きた米兵3人による小学生女児暴行事件のときもこの不平等な取り決めにより起訴前の拘束が不可能だった。1960年に日米安保条約と地位協定が改定されたとき、「極東の範囲」や「核持ち込み」といった軍事的側面には関心が集中したものの、日本の経費負担や基地運用に関する地位協定は安保の陰に潜んで議論がほとんど行なわれなかった。

そして今回ガイドライン法が審議された際も「周辺事態」や「民間による後方支援」が取りざたされる一方この不当な協定の議論が表舞台に上がってくることはなく、米兵の事件は起こるべくして起こった。それをきっかけに地位協定の見直しを求める声が爆発したが、そのために少女1人に深い傷跡を残したのは大きすぎる代償であった。

AmerAsian

米軍基地が存在することによって沖縄では構造的差別が生まれているが、その中で女性に対する性暴力はもっとも悲惨なものであろう。米軍の父と沖縄人の母をもつアメラジアンはその悲劇の申し子とも呼べるもので、アメリカからも沖縄からも差別されるという悲劇的な境遇にいる。アメラジアンは沖縄に3000人ほどいるといわれているが、米軍の父の任期が切れて本国に帰ると子どもへの援助は打ち切られ、日本でも義務教育の名簿から消されていて教育を受ける権利が保障されないというものだ。運よく沖縄の公立学校に編入できたとしても日本語が不自由だったり外見から周りの差別に遭い、自分が生まれてきたことに疑問を抱くようになるという。

アメラジアンの中には両親双方の文化を尊重して自らのアイデンティティを「ハーフでなくダブルだ」と肯定的に捉え、前向きに生きている人もいるが、今なおアメラジアンに対する偏見の根は深い。腰の重い政府のアメラジアンへの支援も始まったばかりだ。あるアメラジアンの女性はこう言う。「アメラジアンの問題は本当はわたしたちの問題ではなく、わたしたちを特別な目で見る周囲の問題なのです」


「沖縄」の構造

by Koh Okamoto

今都会に住んでいる私たちに、普段米軍基地は見えず、沖縄問題もリアリティーを欠いている。それは何故なのか?そこには沖縄に個別の問題ともっと一般性をもった問題と二つのレベルの構造的要因があるように思われる。より一般的な問題としては、「くさい」ものは「弱い」ところへ、という構造がある。米軍基地にとどまらず、原発及び関連施設、産廃処分場など、都市部に住む私たちが営む高度で豊かな文明生活が無条件に前提としたり、恩恵に授かっていたり、生み出していたりするそれら「くさい」ものは、都市部には、ない。それらは、遥か南の沖縄、下北の寒村、所沢の郊外にある。そういった場所は、現在の日本の産業社会においては、構造的に劣位に置かれている「弱い」場所である。若者の高い失業率、増える高齢者、止まらない人口流出、乏しい財政基盤などなどそれらの場所の抱える問題は深い。故に、「くさい」ものを受け入れやすい或いは押し付けられやすい(沖縄の場合、米軍基地は当然自ら誘致したものでないが)。そしてそれは、往々にして財政支援など経済的代償を伴う。しかし、それはその場所の状況を根本的に変える訳でないから、一旦経済的に補償を受け始めると容易に経済的にそこから抜け出すことができないという悪循環に陥る(その基地問題と経済問題のリンク自体が国の論理なのだが)。沖縄の場合、国からの多額の財政的支援、軍用地代、基地関連収入というのがそれにあたり、基地なくして経済的に立ち行かないというのが基地容認派の主張根拠になっている。が、それは「アメの常食化」でもある。即ち、経済援助漬けになり、施しを求める「物乞い」と化すという事態が今進行している。沖縄の人々の精神性が破壊されつつあるのである。

さて、これまで安易に「沖縄」という言葉を使ってきたが、そこで一括りに「沖縄」と言ったときに見落としている問題がある。1つは、「沖縄問題」ということの多義性。それは、1.沖縄の抱える問題、2.沖縄に関する問題、3.沖縄の存在自体が日本政府に突きつける問題、4.沖縄が体現する日本の問題、と大きく分けても4つはある。それが一緒くたに扱われて混乱しているというのが1つめ。もう1つは、「沖縄」内部の差異を無視しているということ。日本対沖縄という図式の中で、その重層構造を強引に捨象することは、「沖縄」という新たなナショナリスティックな想像の共同体を作り上げるのではないかという問題である。そこで強調されるのは、被害者としての沖縄であり(作家・目取真俊が厳しく指摘している)、沖縄出身兵士の侵略行為・沖縄での慰安所の問題など、その加害性が覆い隠されている。また、被害者或いは被支配者としての沖縄を考えたときにも、何故米軍政下からの「解放」が、独立から本土復帰とすりかわり、かつその過程で日の丸掲揚運動や標準語奨励が(他ならぬ教職員組合を基盤として)行われたのかという問題もある。そこにはminorityの問題や、日の丸・君が代そして天皇制の問題が必然的につながっている。このように「沖縄」が投げかける問題群は、広く、そして深い。そして、それがすぐれて問うているのは、本土に住む私たち自身のあり方なのである。


資料

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小町守 (奈良先端科学技術大学院大学), mamoru dot komachi at gmail dot
com
Mamoru KOMACHI (Nara Institute of Science and Technology)
Last modified: ÌÚÍËÆü, 21- 9-2006 20:26:15 JST