2005年3月、大学生活の締めくくりとして台湾に行ってきました。台湾に行く一番の目的はオーストラリア留学時代のルームメイトに会うことでしたが、卒論のテーマが『台湾植民地期の言語政策』というものだったので、実際に現地に行ってどういう言語環境なのか見てみたかった、というのもありました。また、大学最後の年は台湾語の授業を取っていたので、学んだ台湾語を少しでも使ってみたかったのです。
そんなこんなで台湾一周の旅の始まり始まり〜
今日は台湾に旅立つ日ということで朝から逆転裁判。というのは冗談で、きりのいいところで終えて荷造り。
うーん、成田まで高いよう、と思いつつ日暮里から京成線の特急で成田空港まで。1時間半かかるし座席も指定席ではないのだが、1000円で行けるのがよい。成田エクスプレスなんかに乗ると3000円かかる。そもそも台湾行きの往復チケットが33000円なのに日本国内の移動でたとえば往復6000円取られてはなにをしているんだ、という感じ。
AIR-EGDEは国際ローミングの設定をしたので台北周辺と高雄周辺、あと台中の微妙なエリアで入るはず。台湾でAndreaとGentoo.twの人に会う約束をしているので電話番号があると便利なのだ。一応国内の電話番号にかかった電話の転送もできるらしいが、着信ごとに200円取られるらしいので、それはやめてもらった。台湾にいる間だけの電話番号を発行してもらった。電話代も3分80円らしいから普通の値段かな?
そういうわけで午後3時に成田を出発して午後6時半に台北へ。出国で並んだりといろいろあってけっこう時間がかかる。中国語だー、と思ってしっかり機内で勉強したのだが、結局空港と市内を結ぶバスのチケットは(中国語で話しかけたのに)日本語で買えた。そして台北市内に着いたのは8時半。ホテルの予約などはしておらず、2つホテル回ったのだけど、どっちもフロントに中国語で話しかけたら日本語で返ってきた(最初のホテルは「満室です」と断られたが)。まあこれから列車で台湾一周するのでおいおい中国語も必要になるであろう。
ホテルもADSL完備、なおかつPHSはアンテナ5本立っている。明日からはこんな設備整っていないところに行くのだなー。不安と好奇心が半々くらいだ。Andreaに電話して会う日程や行く場所のことをいろいろ話す。Andreaと話すのもも久しぶり。前は大晦日に突然実家に電話がかかってきたんだっけ。。オーストラリアにいたときは、絶対一緒に写真には映ってくれなかったのだが、今回はカメラ持参らしい。あのときも「いまはだめ。台湾に来たら一緒に映ってあげるよ」とか言っていたのを思いだした。いや、楽しみだ。
今日は汽車に乗って時計回りに台湾を一周する旅の出発。まず花蓮(Hualien)という都市に行く。
台湾は都市部以外電車がほとんど発達しておらず、もっぱらディーゼル車が走っている。もっとも速い汽車は自強號という列車で、長距離だとほとんどこの電車しかない感じ。もっと安い等級の汽車もあるのだが、いずれにせよ全部の等級を合わせて1時間に1本くらいしか動いていないので、わざわざ安い汽車に乗るために時間を調節したりしないかぎりは自強號に乗ることになる。
そういうわけで汽車の旅はじまりはじまり。乗って1時間くらいすると、PHSがぴりぴり鳴る。台湾でのPHS番号を教えてあるのは実家と台湾にいる友人2人だけなので、なにかと思うと、台中に住んでいるpalatisからのコールだった。会うのもこれが初めてだが声を聞くのもこれが初めてだったので、こんにちは、くらいしか言えないうちに、PHSのサービスエリアを出てしまい、通話不能になってしまった。PHSは台北周辺、高雄周辺と台中でしか使えないのだった。ちなみに台湾では車内での携帯電話使用は無問題らしい。
花蓮に着くとまずpalatisに折り返し電話。電話カードを購入したほうがいい、とAndreaに言われていたので、駅のセブンイレブンで購入。なんか全ての駅にセブンイレブンがあり、町中も200mごとにセブンイレブンがある気がするけど、すごい数だ。対面にあったりして日本より数が多いかもしれない。コンビニエンスストア自体はセブンイレブン・ファミリーマート・あと台湾ローカルなコンビニの3種類を見かけたが、セブンイレブンの数が圧倒的に多い。Andreaも「セブンイレブンはどこにでもある」と言っていた。palatisにはPHSにかかってきた電話番号をチェックして電話をかけ、12日に台中で会えることになった。東側にいるとインターネット接続もあるかどうか分からないし、電話で連絡する以外になかったので、よかったよかった。
台湾の中央部から東部にかけては山岳地帯になっており、昔は高山族とか高砂族と呼ばれていた人たち、つまり台湾原住民が住んでいる。花蓮も台湾原住民の中の1民族、アミ族が住んでいる場所である。また、この都市は日本が台湾を支配していた1895年から1945年までのおよそ50年の間、もっとも日本人が多かった都市らしい。
そういうわけでアミ族の文化を実際に見てみたかったのだが、駅前の観光センターで近くにある原住民族関係の施設や実際に原住民の人が住んでいる地区を訊いてみると、施設はあるが開くのは夜で、原住民の人が住んでいる地区は車でかなり遠い位置にあるので、このあたりは高山で風景がきれいだから風景を見に行きなさいとしきりに勧められる。観光センターでは、中国語で訊くと係の人が隣の人に台湾語で訊いて、それを中国語で教えてくれる、といった感じだったが、途中からなにやら英語を喋る人が出てきたので英語で会話することになってしまった。変な感じ。
とりあえず風景を見るよりは実際の原住民の居住地区に行ってみたいものだと思い、観光センター外でバスの時刻表を見ていると、なにやら日本語で「どこ行くの?」と話しかけてくる人が。これこれこういう理由でこういうところに行きたいので、バスに乗りたいのですが、バス停はどこですか、と言うと、ここに行きたいならバスじゃ不便だよ、タクシーはどう、としきりに粘られる。日本語が通じるのにも驚いたが、客引きの人だったか……。バスで行けないのであれば行かないつもりだったのだが、どうもバスも1時間に1本くらいのようで、行ったら帰って来られなさそうだったので、地図で見ると海が近くにあるので川沿いに砂浜まで歩いて行くことにする。
川べりを歩きながら、こういう旅行前もしたなあ、とぼんやり考える。これまで水辺を一人で歩いていると不意に孤独感を感じるというか泣きたくなることがあって、故郷が鳴門で海の側だから海が近いとなにか懐かしくてそうなるのかと思っていたのだが、実は川沿いを歩いているほうがそうなるのかもしれない。
海までは歩いて30分くらいで着いたので、あとは砂浜をずっと1時間くらい歩く。砂浜を見つけるとぼーっとしたりふらふら歩いたりただ眺めていたりするのが好きなのだが、砂浜のある海岸は1時間行ったところで切れていたので、一番南端のところで一休みし、ノートの端切れに手紙を書く。海だなあ。
実はそのまま阿美文化村というアミ族の紹介施設まで歩いていくつもりだったのだが、どうも地図が適当(たぶん歩いていく人がおらずタクシーで行くことを前提に書かれている)で、道に迷いかけてしまい、到達できなさそうだったので、予定を変更して花蓮の夜市をぶらぶら。台湾はけっこういろいろなところで夜市が開かれているようで、屋台があったり小店が出ていたりするので散歩しているだけでもけっこうたのしかった。
台湾東海岸の旅2日目は花蓮から台東(Taitung)へ。花蓮のホテルを出るときチェックアウトしたが、そこでホテルの人(60歳くらい)から「日本人?」と訊かれ、そうですと答えると、今日はどこ行くの?とかいう話に。日本語不自由なく使えているみたいだけど、両親が日本語を使っていたとかだろうか。汽車の時間が迫っていたのであまり話さず出てきてしまったが……。
台湾汽車の旅は、台北から花蓮へもそうだったが、台湾の東海岸は眺めがいい。3時間ほど汽車に乗ると台東。
台東は台湾の大都市の中でもっとも原住民の比率が高い都市らしく、人口の半分くらいが原住民らしい。汽車の中での乗車案内のアナウンスは北京語・台湾語・客家語の順に3言語でなされるのだが、どうも台東駅で流れる放送を聞いていると、ここはそれ以外の言語(おそらく原住民の言語の一つ)でも放送が流れているみたいだ。
この都市はまた台湾原住民のさらに前に住んでいた先住民の卑南(Peinan)文化の地としても知られ、台東から南周りで高雄に到達する鉄道の建設の最中に見つかった卑南文化の遺跡を保存するために作られた卑南文化公園、そして国立台湾史前文化博物館を見ようと思っていた。
というわけで台東駅で公園の場所を訊いて歩いて公園まで。台東は台湾の中で訪れたどの都市とも違い、車の数が少なく、道も広く、歩いていても危険を感じない。駅前でも果物を売っていて、買うとすぐむいてくれる。ものすごくのどかでいいところ。
公園では発掘現場や遺跡を見たのだが、中に小さな資料館があったので、そこにも足を運ぶ。入り口には「学生は割引券(半票)」と書いてあるので、国際学生証ではないけれども日本の学生証は使えるかと思って出してみると、海外の学生は無料ですよ、と言われた。すばらしい(あとで訊いたら東大は台湾では超有名とかいう話だったが)。
小一時間公園に滞在したあと、史前博物館に。博物館は台東から駅1つ離れたところにあり、歩いて行けるかなと少し期待していたのだが、どうも文化公園にある博物館のパンフレット(卑南文化公園は史前博物館の分館という扱いになっている)を見ると、どうも歩くと1時間半ほどかかりそうで、5時に博物館が閉まることを考えると見る時間がなさそうなので、汽車で行くことにする。例の如く汽車は1時間に1本なので、行く前に行きと帰りの列車の便をチェック。帰りの便、つまり高雄から台東の便というのは、台湾の鉄道の中でもひときわ利用者が少ないようで、1時間に1本どころか2時間に1本みたいだが、とりあえず1時間少々博物館を見て5時前に博物館を出れば台東には戻ってこられそうだったので、行くことにする。汽車の切符を買うときはだいたい窓口で駅の名前を言えば切符が買えるのだが、この博物館がある駅、自強号は止まらないし小さな駅らしく、言っても通じず、ここに行きたいんだと博物館のパンフレットを見せていると、隣の窓口から「どこに行くの?」と声をかけられる。なんかどうも駅には必ず1人は日本語が喋れる人がいるような気がする。とりあえず切符が買えたからよかった。
いやー、この史前博物館、建物も2001年にオープンしたばかりできれいだったが、内容も濃くてじゅうぶん堪能。台湾にあるあらゆる先住民の遺跡を紹介していて、かなり見ごたえがあった(逆に言うと原住民については最後にちょっと紹介があるくらいで物足りなかったけど)。もっと時間があれば半日くらい滞在して全部説明を聞いてみたかった。
台東に汽車で戻って、バスで台東市街区へ。台東は花蓮と同じく鉄道の駅と市の中心部が離れていて(昔は市の中心部まで線路が敷いてあったようだが、なぜかいずれの町も廃線になっていた)、だいたい車で10分くらい行かないと店もなにもないので、市街地まで行って初めて台東もけっこう普通の町だと分かる(とはいえやっぱり台湾の町の中ではいちばんのんびりしている)。ホテルにチェックインしたあと夜市を徘徊。台東はトロピカルフルーツの町としても有名で、果物市が開かれているようなのでちょっと歩いてみるが、雨がぱらぱらと降ってきたので少し散策しただけで帰ってくる。うまそうな果物がいっぱいあった。
ホテルでテレビをつけてみるとどうもケーブルテレビが引いてあるらしく、ぐるぐる回すと日本のドラマとかアニメとかバラエティー番組を流しまくっているような……。Andreaのおじいさんとおばあさんは戦時中日本語教育を受け(台湾では1897年から1945年まで、小学校をはじめとするさまざまな教育機関で「国語」としての日本語教育が行われていた)、いまでも毎日日本語の歌を聞いているらしいが、さすがにこれはびっくりした。町中でも歌が流れていたら3つに1つくらいは日本語の歌(浜崎あゆみだったり槇原敬之だったりいろいろあるけど)だったりするが、「愛という名の下に」なんてやっていたので思わず懐かしくて見てしまったり。古いものばかりじゃなくてNARUTOとかHUNTER×HUNTERとかおジャ魔女どれみとか新し目のものも流れていたけど。
台東の次は高雄(Kaohsiung)へ。台東から高雄へは南廻線という路線になっていて、列車の本数は少ないが、海沿いを走る風景と山を抜ける景色が印象的だった。昨晩は雨だったが、今日は晴れていてよかった。
Andreaによると、彼女の住んでいるのは台南だが、働いているのは高雄らしいので、高雄でまず会いましょう、ということになっていて、高雄でのホテルも取ってくれており、駅から30分ほど歩いて到着。
当初の予定ではこのまま澄清湖という湖に行くつもりだったが、予想外にホテルまで時間がかかってしまい、これから折り返して高雄駅に行くと湖を見ている時間がなさそうだったので、予定を変更して歩いて40分くらいのところにある寿山公園・寿山動物園へ。
山道というほど山ではないが、路地裏のようなところを抜けて動物園へ。高雄ではPHSが普通に入るのだが、動物園の中では電波が届かないらしい :-( まあ山だとよくあることなのだけど。
30分くらい会うまでにかかったが、なんとか合流。この動物園どうも入り口が2箇所にあるらしい。開口一番「背が高くなったね!」って、変わってないよ! "Need a hug?" "No, thanks!"
それはさておきAndreaの彼氏と3人で夕食を食べることになっているのだが、それまで高雄港でもみながらお茶しましょう、ということで港まで。Andreaの運転する車に乗るのは初めてだが、歩行者として台湾の道路を歩くのも怖いが乗る方も怖い。まあ前は毎日車で通勤していたというから、これでも事故が起きたりしないのは、みんなこれに慣れているということなのだろう……。
というわけで港でお茶。いろいろ話す。「コンピュータ関係に進むのは体に悪いから絶対ダメ!」だと言われた。そうおっしゃいましても……。お茶代のお金を払おうとしたら、「お客さまなんだからお金は払わないで。わたしが払うつもりなかったら最初から誘わないよ」だということであった。中国では食事など誘ったら誘った人が全額払うとは聞いていたが、台湾でもそうなんだー
そして7時半ごろにWallaceと合流してご飯。そのあと元イギリス大使館という場所に行って11時まで喋る。夜の高雄港はとても幻想的できれいだった。次の日仕事がある平日の夜だというのに、人が多かったが、たぶん週末はもっと混むのだろう。。
今日はもともとは高雄から台南まで汽車で行く予定だったのだが、Andreaが学校の授業は午前中で終わるので午後休暇を取ってくれて台南まで来るまで連れて行ってくれる、という話になったので、高雄から駅4つほど離れた楠梓(Nanzih)で合流することに。
合流まで多少時間があったので、前日行こうと思って行かれなかった澄清湖に向かう。バス停で待っていると台湾語で突然喋りかけられて焦った(どうもそのバスがある停留所に止まるかどうかを訊いていたようなのだが)。そもそも台湾に来て現地の人だと思われたの初めてだったし。思わず台湾語でなく北京語で答えてしまった(台湾語分かる人が北京語も分かるとはかぎらない)が、分かってくれたらしい。
この湖、蒋介石が作った人造湖らしいのだが、景色がきれいなことで有名で、多少楽しみにはしていたのだが、着いてみるとなんといま水質改善工事中で水が干上がっている。いったいなにをしに行ったんだ :-( 往復のバスの車内で地元の人の会話を聞くのがおもしろかったからいいか。
そんなことをしているとどうもバスが遅れてAndreaに指定された電車(今回は電車。)の便を乗り逃がす。1本あとのものは1時間後だったのだが、遅れると電話をして待っていてもらう。
楠梓で彼女と合流し、台南へ。台南へは高速道路を使えば40分くらいらしいのだが、なぜかこの日は平日なのに高速で渋滞して1時間半くらいかかる。
台南では億載金城(Eternal Golden Castle)という要塞と安平古堡(Old Fort of Anping)という城址を見る。台湾はもともとほとんど人が住んでおらず、17世紀以降ヨーロッパ人は台湾南部から開発を始めたので、台南は古い文化のにおいがする町。建築物も美しいものが多く、荒っぽい人もおらず、成熟された町並みである。
しかし台南は無茶苦茶暑く、食事がほとんど喉を通らない。実は高雄を出る前ホテルで6時半に目が覚めて、お腹がごろごろしたまま朝寝ができず、気持ち悪くなって吐いてしまったので、もともと体調が悪かったのだが、この日は30度を超える暑さでほぼグロッキー状態。それなのにAndreaがたくさん食べ物を買ってくれるのと、たくさん場所を回ろうと急ぐのでかなり参ってしまう。最後はちゃんと合わせてくれて、ゆっくり木陰で休みながら見て回れたので回復してきてよかった。
遺跡を巡ったあと、台南でAndreaがいちばん好きな本屋に案内してあげる、というので、連れて行ってもらう。8時になったら電話してね、それまで自由に見て回っていいよ、というのでいろいろ見る。英語の本や日本語の雑誌がものすごい量ある。あとでpalatisに訊いたところ台南でいちばん大きな本屋だからそうなだけであって、普通町にあるような本屋だったら繁体字の中国語で書かれた本しかないよ、ということであったが、けっこうびっくりした。
コンピュータコーナーに行ったらGentooの本が置かれていてこれまたびっくり。けっこう分厚い本で、2004年の3月に発行されている。著者を見ると知らない名前の人なので、これも日本で言えば「はじめてのGentoo Linux」のような感じで発行された本なのかな?(発行の時期的にも同じ)
2時間じっくり本を読んだり(椅子があちこちに置いてあるし、坐りこんで読んでいる人もいっぱいいた)背表紙を眺めたり、じゅうぶん堪能したのでAndreaに電話しようとすると、電話カードをバッグの中に入れ忘れていたことに気がついてものすごく焦る。電話番号自体はPHSに入っているのだが、台南はサービスエリア外なのだった。「困ったことがあったら本屋のレジに友人がいるから、その人のところに行って。彼女は英語できるしすごくいい人だから助けてくれるよ」とその人の名前を書いたメモをもらっていたので、その人のところに言って事情を話して電話をかけてもらって合流できたが、メモもらっていなかったらやばいことになっていたかも。まあ、そのときはセブンイレブンを探して電話カードを買ってかければよかったわけだが……。
そのまま自分はAndreaに連れられて彼女の家に。今日は彼女の妹さんが台北に行っているので彼女の家に泊めてもらえることになっているのだ。
彼女の家に着くとまず彼女のおじいちゃん・おばあちゃんにご挨拶。家は歩いて30秒くらいしか離れておらず、毎日来るらしい。彼女のおじいちゃんとおばあちゃん、戦時中に日本語教育を受けたので日本語が喋れるそうで、Andreaも「普段はわたしが学校の友だちとなにしようとなにも言わないのに、今回だけ『日本からの友人は今日来るのか、明日来るのか』って言うから、悪いんだけど日本語で喋ってくれない?」と言っていたので、いくつか日本語で会話する。日本語を習ったのは60年前だそうだが、思い出しながら喋れるそうで、日本のご飯について話しながら夕飯をごちそうになったり。
そのあとはAndreaがシャワーを浴びるというのでAndreaの家に戻り、今度はAndreaのお父さんと英語で喋る。自分の父がいま中国語を独学で勉強しているように、Andreaのお父さんは英語の勉強を映画を見たりして自分でしているそうで、ときどきAndreaと英語で喋ったりして英語の練習をしているらしい。Andreaのお父さんに中国茶をふるまってもらいながら2時間くらい雑談。中国茶すごくおいしいなあ。コーヒーは飲むとときどき胸が痛くなったり気持ち悪くなったりするのだが、中国茶は熱い以外はそういうことなさそう。ファンになったかも。
Andreaがシャワーから出たあと自分もシャワーをもらい、妹さんがいないAndreaの部屋でいっしょに寝た。というわけはなくて、彼女たちの部屋を見せてもらって(広い!妹さんと同じ部屋らしいけどとにかくベッドがキングサイズだし広々)、自分は子ども部屋で寝かせてもらう。蚊帳を使わないかとさんざん言われたのだが、小学生のころ蚊帳を使っていてものすごく面倒だったのをおぼえているので、かまれてもいいから要らない、と断ったところ、夜ものすごい数(10匹以上)の蚊に襲われる。病気に罹ったりしなかったからいいものの、蚊帳使っておけばよかったかなとちょっと後悔した。
朝Andreaに駅まで送ってもらって今日は台中に。
台中での目的は Taiwan Gentoo ユーザ会の ebuild 開発リーダーをしている Palatis に会うことだったのだが、彼は大学生で昼間は用事があるらしいのでこちらも台中の自然科学博物館に行く。
駅から直接だとバスがあるのだが、駅からホテルまで歩いて10分くらいなので、とりあえずチェックインしたいのでまずホテルに。行く道道で電気店があったりパーツ屋があったり、なんか台湾の大動脈とされるだけある町並み。自然科学博物館がこの地にあるのもうなずける。
結局ホテルに着いて一息着くと、バスに乗るのもなんだなと思って雨の中30分くらい歩いて博物館に到達。ここで見たかったのは古代中国のテクノロジー。医療(鍼灸)とか天文学とかいろいろ古代中国の技術がどうだったか解説されていてすばらしい。昔使われていた乗り物とか精巧な水車とか実物大で再現されているのは圧巻。日本でもこういうふうに紹介する場所があればいいのにねえ。
ここなら1日ごとに違う場所聞きに行って3日はいられる、と思ったが、夜は Palatis が来るそうなのでバスで駅まで移動。お互い顔を知らないで駅の反対側で待っていたらしく会うまで一苦労だったが、お互い PHS と携帯持っていたのでなんとか出会えて感激もひとしお。
会ってみると彼はまだ大学1年らしくかなり若々しい。台湾は Mandrake ユーザが一番多いらしいが Gentoo ユーザもたぶん200人くらいいる、ということでがんばっているらしい。そもそも自分より英語ぺらぺらなのでなんだと思ったら、実は昔上海でアメリカンスクールに行っていたらしい。道理で。そんなに英語できるんだったら本家の Bugzilla でもっと発言してよ! と要望したら、分かった、そうする、と納得してくれた ;-)
夕ご飯は台中の食堂で食べたのだが、メニューが分からない(中国語だから漢字見れば分かるのもあるが、半分以上分からない)ので説明してくれる? と頼んだら、全部がんばって英語で説明してくれた。うれしい。
台湾ではそもそも文字の入力には注音(ちゅーいん)という方法で入れるらしく、日本でいえばキーボードにかなが刻印されているかのごとく注音記号が刻印されていて、普通はこれを使って入力する、ということを教えてもらった。大陸では併音(ぴんいん)というシステムを使っていて、日本で中国語を学ぶとこの表音体系で学ぶのだが、台湾では小学校くらいでこの注音を学んで、これを使う(逆に言うと併音は習わない)らしい。卑南の博物館で読めない文字で書かれた解説文がいっぱいあったが、全部注音記号で書かれていたものだったそうだ。へー
Gentoo 開発者になれるならなりたい、ということだったので、それはこっちからお願いしたいことだよ、ということで日本に帰ったら開発者に推薦しておくことを約束。いろいろ話して楽しかった。
ぐるっと一回りしてきたのでまた台北に来る。今日はAndreaのいとこの家に泊まることになっている(台北でのホテルはまだ予約していないと言ったら、Andreaのいとこや妹さんたちが「自分たちだけMamoruに会えないの〜!」とぶーぶー言っていたらしい)わけだが、そもそもお互い顔も知らないし会えるのかどうか謎であった。
しかしながら台北で指定された出口に行くと数分後彼らが到着。向こうもこっちをすぐ分かったようだが、Andreaの妹さんAndreaにすごく顔が似ているのですぐそれと分かった。よかったよかった。
出迎えてくれたのはAndreaの妹さん(2人)、上の妹さんの旦那さん、その弟にAndreaの妹さんの娘さん、といった5人。その子は naughty kid だと Andrea からさんざん言われていたのだが、初対面では利口そうに見えたので、無事会えた? というAndreaからの電話にも「全然 naughty じゃなくてむしろかわいいじゃない」と答えたのだが、猫かぶっていたことはあとになって分かった。。
台北ではとにかく故宮博物院が見たかったので、故宮まで車で連れて行ってもらう。台北からは車だと数十分。バスでも行けるらしい、というかAndreaは一時期この故宮博物院の近くの大学に通っていたらしいので、「このあたりなら彼女が一番詳しい」と妹さんも言っていた。
故宮博物院というのは、第2次大戦のあと国民軍が大陸から逃げてきたときにその当時大陸の故宮(紫禁城)にあった宝物ごと持ってきたので、実は故宮の財宝を見たければ中国本土ではなく台湾に来ないといけなかったりする。中国といえば古くからのものがたくさんあると思うのでぜひ見ておかねば、と思ったわけ。
故宮博物院に着くと、どうも本館は改装中で全部完全には見られないようだったが、特設展と本館の一部が見られるようだったので、中に入る。Andrea一家はそれほど興味ないようだったので別行動だったが、特設展は日本語の解説用の音声ガイドがあるのでそれを係の人に尋ねて借りてきてくれた。なくても英語と中国語の解説読めば分かるので、そこまでしてくれなくてもいいのに、と思ったが、よかれと思ったことはなんでもしてくれる、というのはすごくありがたいことだと思った。
満足するまでゆっくり見ていていいよ、今日はあなたに全部合わせるから、と言われたので好意に甘えてゆっくり特設展を見ていたのだが、2回回ってもまだ待ち合わせ時間まで半分も過ぎていないので、特設展を出て本館のほうに行く。
本館は内部の2/3以上が臨時の壁で区切られており、立ち入ることができなくなっているが、一応部分的には見ることができる。今回は音声ガイドはないようだが、至るところ日本語・英語のツアー(日本語のツアーは高齢の人ばかりだったが)とおぼしき集団が数分おきにやってくるので、聞きたければ少し待っていれば日本語で解説が聞けるのであった。めでたしめでたし。
こちらはだいたい待ち合わせの時間に見終わったので、約束した場所に行くと、なんだ、もうそっちに行ったのか、それなら他に行きたいところある? と訊かれたので、歩いて数分の順益台湾原住民博物館に行きたい、と行ってこれまた連れて行ってもらった。台湾の旅で何度か経験したのだが、原住民に関することを見たい、と言うと少し場の雰囲気が変わるところがある。見られたくないもの、という感じではないのだが、なんでまた外国人のあなたがそんなものに、というように思われている印象を受ける。Andreaの話では、ああ、原住民ってそういえば小学校の時習ったから知っているわよ、というような話だったし、都会に暮らしていると台湾ではほとんど考えもしない(教科書の中でしか知らない)ことらしい。
そんなこんなで訪れた台湾原住民博物館だが、この博物館は人こそ一人もいなかったものの、台湾原住民の画像や音声の資料がたくさんあって、研究の資料が見られたり、首狩りの風習で実際に刈られた首の写真が展示されていたり、ここでしか見られないものがたくさん見られたので大満足。
夜はAndreaの妹さん宅の近くのお店でご飯。台湾料理おいしい。お腹いっぱい食べて(というかお腹いっぱいと言っていても、これだけで十分なんて信じられない、遠慮しないでもっと食べなさい、と言われるので、限界120%くらい食べてしまった)部屋に帰ってひとくつろぎしていると、Andreaの妹さんがコンコンとノックする。一昨日Andreaに「この果物おいしい」と言ったことなど事細かに伝わっているらしく、「姉さんから Mamoru はこれが好きって聞いたから」と(食べきれないくらい)果物をたくさんむいて持ってきてくれた。果物は別腹ー と思ったのも弁当箱2つぶんの果物半分くらい食べるまで。さらにそのあと nian gao という揚げ菓子までもらって食べ切れず、返しに行ったら「わあ、Mamoru、麻雀しに来てくれたの? とりあえず鳥のスープ召し上がれ」と言われたので、麻雀はルール知らないのでできない、と言っているうちにスープが出てきたのでいただく。台湾の人はみんな恰幅がよいが、これだけ食べてあの体型ならみんなもともとは痩せ体型なのでは……。例の naughty kid は一口だけ口つけて「これいらない!」とか騒いだり、暑いスープよそっているのにどーんと後ろからタックルしたり、これは Andrea が悪ガキだ、と言うのも分かる。
今日は中正国際空港まで送ってくれるというのでてっきり歩いていくものだと思っていたが、なんとAndreaの妹さんとバイクに二人乗りすることになっていた。台湾のバイクの運転はかなり危なく、黄色は「進め」のシグナルで、赤信号でも平気で直進右左折するので怖かったのだが、ほんの数分ということで乗せてもらった。
注意して運転してくれていたせいか、多少は怖かったがそれほどでもなかった。二段階左折の標識はちゃんと守ってくれたようだ(守らず右だろうが左だろうが曲がる人のほうが多い)。
実際に車の中から見て何回かひやっとする場面はあったのだが、これみんなだいじょうぶなんだろうか?
帰ってきた。向こうを9時半に出発したのに寮に着いたのは7時半。飛んでいる時間がきっかり3時間だということを考えると、半日仕事かと思ったらまるまる1日かかるのだな。なにぶん1週間もの旅行は初めてなので疲れた。しばらく療養しよう……。
